①あなたに勧めたい・・この本のここが好きです。


自分が、かって少年(少女)だったことを思い出したいあなたに勧めたい

「大ピンチずかん」1巻~3巻 鈴木のりたけ  小学館  ①本を手にして1頁目を開きます。
②男の子が牛乳をコップに注ごうとしてこぼしてしまいました。大ピンチです。 ③あわてた男の子が、もったいないからと机にこぼれた牛乳を吸おうとして
④今度は頭で牛乳の入ったコップを倒してしまって・・・更なる大ピンチ到来です!


ここまで頁をめくったあなたは、「そうそう」「あるよね」と、昔を懐かしく思い出すに違いありません。特別ないたずらっ子でなくても、一度や二度は経験のある大ピンチが、「これでもか」とばかりにユーモラスなイラストと一緒に出てきます。大ピンチレベルの数字も書かれていて、解り易く、しかも絵本の中の男の子はリアルで可愛い。読者は、小さかった頃の自分と、絵本の中の男の子を重ねてしまい、いつの間にかこの絵本に引き込まれてしまうという訳です。大ベストセラーになるのも納得です。私も1巻、2巻と購入し、結局、全巻購入してしまいました。

この絵本を見ていると、「自分も結構な大ピンチに遭遇したなあ」と昔を思い出します。そして「運よく助けてもらって大きくなったのだな」と、今更ながらに周囲の人が優しかったことに気がつきます。「ストローがジュースの紙箱に落ちてしまって取れない」とか、「アイスを全部食べないうちに落としてしまった」とか、「セロテープの切れ目がみつからない」とか、みんな覚えがありました。更に、誕生日会に招かれたのにプレゼントを忘れて出席してしまったとか(大ピンチレベル95)、床屋さんで前髪を短くされてカッパのようになったこともありましたっけ(大ピンチレベル98)。子供さんへの「プレゼント」にも「自分の癒し」のためにもお勧めしたい一冊です。

ところで、以下は先日私が電車内で遭遇したできごとです。
ランドセルをしょって制服を着た某小学校の男の子が、たくさんの荷物を腕にぶら下げて電車に駆けこんできました。あまりにあわてて駆けこんできたために、その子は乗ったとたんに荷物をひとつ床に落としてしまい、飛び出した筆箱が年配のご婦人の足元にゴロリ。心優しいご婦人が拾って渡して上げるとペコリとおじぎをしたその子の腕から、今度はもうひとつの荷物がくずれ落ちて・・・ 乗り換えの駅までに間に合うだろうか、助けた方が良いだろうかと、大人たちが心配そうに見守る中を、必死で荷物をかき集めて態勢を立て直した男の子は、再び腕に荷物をぶら下げると、何事もなかったように胸を張って電車を降りて行ったのでした。大ピンチ到来、そして大ピンチ去るの巻。電車の中は心なしかほっと和んで、「あっぱれ!」と言いたくなる空気に満たされたのでした。良かった、良かった。

 


野に咲く花が好きな方、もしくは俳句の好き方にお勧めしたい

「涯に咲く」  疋田英子 発行所(有)ナチュラリー
著者は稚内市在住です。酪農家の長女として育ち、幼い頃から自然に親しんだ彼女は、結婚後、恐らく子育てが一段落した頃でしょうか、「利尻礼文国立公園パークボランテイア」の会に入会、同時期に入会した俳句結社「樺の芽」で作句も始めます。
まず俳句ですが、入会したその年から3年連続で競詠賞第一席を獲得、程なく新人賞、さらに樺の芽賞も受賞と、「実に並々ならぬ力量をあらわす俳歴である」とは、序に代えての章で「樺の芽」主催者が述べている言葉です。
次に「利尻礼文国立公園パークボランテイア」です。そもそもこのパークボランテイアに登録したのは、あまりにも盗掘跡を目撃したからだと本の中で書いています。ぽっかりと「盗掘跡」を見つけたときの悲しみはなんとも言えない。しかし、高山植物のレアものが副収入にも繋がっていた時代には、声高にいうと嫌われることにもなるので難しく、盗掘防止は自然関係者たちの長年の大きな課題でもあり、悩みでもあったと書いています。著者は30年にわたり自然保護活動を続け、その功労で平成31年に環境大臣賞を受賞します。

この本は、著者が30年にわたり俳誌「樺の芽」に掲載した「北の国から 花便り」を加筆訂正して一冊にまとめたものです。
北の涯に咲く花々の写真と解説、その花に纏わる子供時代の思い出、そして花に添えるように載せられた彼女の俳句。思いがいっぱいに詰まったこの一冊は、「植物図鑑」であり、「風土記」であり、「句集」であり、更には「盗掘は絶対悪」と、みんなの意識が改革して「自然のものは自然界に置くもの」「その花を見たいときには、その花が咲いているときに、咲いている場所にみんなで見に行きましょう」という時代が来ることを願って書かれた「願いの書」でもあります。
紹介されている花々は60種以上に及びます。以下に、そのうちの2つの花をご紹介します。花を介して著者が人と交わり、生きる姿勢を学んでいったことがよく解る箇所です。花でなくても、スポーツでも楽器でも何でもいいのです。何かに夢中になって、たくさんの刺激を受け、学び、そして育ってほしいと願います。


「ねじり花」 捩花(ラン科) 花期8月頃
私の花好きは母の影響もあるだろうが「捩花」、この花から始まっている、と
言ってもいいと思う。
8月の末ごろになると我が家の牧場のあちこちに小さなピンクの花が咲き始める。幼いころ「ねじり花」と呼んで妹たちと競って集めたものだ。
小さな手には、すぐにいっぱいになる。一本でも、妹たちより多く採りたい長姉の私。たまに白花もある。それを見つけるのも手柄のように喜ぶ幼い姉妹たち。
母は、その花を「これはネエちゃんの」「これはマッコの」「これはヨッコの」と言いながら、それぞれの、別の小瓶に挿して台所の窓辺に並べて飾ってくれた。
幼い日を想い出すとき、いつもこの花を摘んだ姿がある。
この花を見つけるとすぐに幼い日の光景が現れる。
数十年も経っているのに妹たちも同じ想い出の中にいるみたいだ。
その牧場には、もう行くことはない。実家は25年前ぐらい前に離農した。
私の故郷を恋う俳句も多くなった。



「大好きな先生」 鈴蘭(ユリ科)夏期5月~6月
ふたつの葉っぱに かこまれて スズランの鈴咲いた
ふたつの葉っぱは みどりいろ スズランの鈴は白
ふたつの葉っぱは 手のようだ スズラン見つけたわたしの手 


ここまでしか覚えていないが、これは小学生だった私が初めて作った詩だ。
先生は、作文よりはずうっと短く、歌のように調子よく作るように。なんでもいい、昨日のことでも、未来のことでも、家族のことでもいい。
昨日のこと?すぐにひらめいた。昨日スズランを探しに行ったからだ。小さな声で、歌いながら作った。すぐに出来た。
この私の詩を読んだ先生は「素晴らしい」と大きな声でほめてくれた。そして「スズランの咲いているところを教えてくれ」と小さな声で言った。先生も知らないことあるのか?おかっぱ頭は、嬉しくなって「いいよ」。スズランは、私にしてみれば、ちっとも珍しいものでもなく砂丘に行けば普通にある花だった。
このほめられたことは、いつまで経っても忘れないものだ。この日以来、私は「詩」が大好きになった。学校の図書室にある詩集を読みあさった。
 略
岩泉先生は、小学2年生から6年生になるまで担任だった。私が、中学生になる前に先生は、転校することになった。その時どんだけ泣いたことか。
親に叱られたときの涙、友達と喧嘩したときの涙、本を読んで感動したときの涙、それとも違う次から次へと溢れる涙があることをこの時知った。

子供の頃に、大好きな先生に出会えることは幸せなことであった。なかなか、そうでない人もいると思う。親になってから、わが子にも「大好きな先生」に出会って欲しいと願っていた。
出会えたのかな?



俳句 疋田英子
・大空に決意表明辛夷咲く
・胸中のふるさとが咲く山桜
・朴の花ひとつひとつが孤高なる
・この涯に咲いて悔い無なし蝦夷竜胆(えぞりんどう) 


                                              以 上
 

2026年03月09日