キ エ フ へ の 旅
 



 キエフはウクライナの首都です。大変美しい街だそうです。
ニュースで名前を聞かない日はない最近のウクライナですが、その紛争の多さゆえにでしょうか、観光で訪問したという方を私はあまり知りません。
今回、近くて遠いそのウクライナを、縁あって訪問した知人から貴重な写真が届きました。
まずはウクライナの地理を確認し、それからキエフの街を覗いてみましょう。

キ エ フ の 街

ホテルから見たキエフの街

 ウクライナは「世界一美女が多い国」と言われているそうです。
 実際、キエフの街では素敵な男女を多く見かけたそうです。
 支配され続けた歴史と民族の多さが混血化を促し、美男、美女が多くなったと言われているそうです。
独立広場

 1991年ソ連崩壊とともにソ連領から離れ「ウクライナ」として独立。
 高くそびえる建造物は「独立記念の塔」と呼ばれてキエフの街のシンボルタワーです。
尚、ウクライナ独立後もロシアの影響は強く、2014年にはロシア系住民の多いクリミア半島で「クリミア危機」が勃発。
 ウクライナとしての「クリミア自治共和国」は、ロシア連邦の「クリミア共和国」と称 して独立を宣言(但し国際的な承認を得ていない)。
 他にもウクライナ本土の親露系東部2州がウクライナ政府と紛争中です。
キエフの街をドニエプル川が流れる

 国の中央を流れるドニエプル川はウクライナに「ヨーロッパの穀倉地帯」と呼ばれる肥沃な地をもたらし、農業を盛んにしています。
  一方、農業ばかりではなく豊富な地下資源のおかげで重工業も盛んです。
 因みに、ソ連時代の1986年に事故があったチェルノブイリ原子力発電所は、ウクライナのチェルノブイリ近郊に建設されていました。現在、事故を記録した「国立チェルノブイリ博物館」がキエフの街に建設されています。
黄金の門

 11世紀前半キエフ公の時代に建てられたキエフの街の正門。13世紀にはモンゴル軍によって破壊されてしまいましたが、その後発掘・研究が進み1982年、当時の 姿を模して再建。ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」の最後に登場する「キエフの 大門」はこの門を指しているそうです。

世界遺産と、その他いくつかの教会

聖ソフィア大聖堂

 1037年、キエフ公国時代に建てられたキリスト教の大聖堂。
 ペチェールシク大修道院とともに1990年世界遺産に登録されています。
 ヤロスラフ公と4人の娘たちの絵が有名
ペチェールシク大修道院

 ロシア正教ウクライナ教会の総本山です。広大な敷地には博物館などもあるそうですが、必見は墓地になっていた地下洞窟で、ローソクを買いそれを手にして進むと、ミイラ化した修道士を見ることができるそうです。大変神聖な場所で露出度の高い服装で見 学することは禁止だそうです。
聖ミハイル黄金ドーム修道院

 白と青の壁、黄金のドームが大変美しい修道院です。
聖アンドレイ教会

 アンドレイ坂の上にあります。
 アンドレイ坂にはお土産の出店が多く、マトリョーシカなどたくさん並んでいたそうです。

土  産
 ROSHENというチョコレートは大人気だそうです。
以上  
 


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