イタリア発

二つの世界遺産と村の日々の生活を紹介します。



世界遺産
アルベロベッロ  (白川郷と姉妹都市です)

とんがり帽子の屋根が並ぶおとぎの国

【 位置 】

 長靴の形をしたイタリア半島のかかと(ブーリア州)にあります。オリーブで有名な農村地帯で、人口1万人ほどの小さな村です。

【 景観 】

 土台も骨組みもないまま、この地方で採れる白い平たい石灰石を積み上げ、その上に円錐形の屋根を載せた可愛らしい家(トゥルリ)が約1000棟並んでいます。まるでおとぎの国に迷い込んだような景観です。屋根にはそれぞれに不思議な模様が描かれ、てっぺんには飾り石が置かれていますが、それが自分の家を識別するためか、はたまた魔除けのためかは不明だそうです。

【 歴史 】

 「トゥルリ」の起源は15世紀にさかのぼります。日本のちょうど戦国時代でしょうか。
当時の領主が王様の許可なく町を興し、なかんずく税金を逃れるために農民たちにすぐに解体できる小さな家を造るように命じた結果、出来上がったのがこの家並だとか。
農民たちは部屋ごとに屋根を載せ、それをいくつも繋げて一軒として使ったそうですが、意外にもこの「トゥルリ」、強い日差しを遮り、雨水の有効利用に適した構造になっているんだとか。もちろん、今も住居として、あるいは土産店として現役で活躍中です。
強欲な領主に対抗して、農民たちは知恵を出し合い、したたかに生き抜いてきたことの証のような家並です。




世界遺産
マテーラ

【 位置 】

 同じくイタリア半島のかかとの部分にあります。アルべロベッロに近いので、二つの世界遺産を同時に巡ることができます。

【 景観 】
 グラヴィーナ渓谷の斜面の岩肌を掘って造られた、サッシと呼ばれるキリスト教徒が築いた洞窟住居群が約3000〜4000あり、それが何層にも重なって渓谷を埋め尽くす壮観な景色が広がっています。

【 歴史 】

 この地に人が住みついたのは約7000年前からと言われています。
8世紀〜13世紀にかけてイスラム教の迫害を逃れたキリスト教徒の修道士たちが、洞窟内に130余りの教会や住居を造って移り住みました。
地中海交易で栄え、さらに彼の地が州都となって大いに繁栄しましたが、19世紀初め州都が移動すると徐々に町が衰退してしていきます。
その後人口の増加による住宅の不足で衛生面が悪化し死亡者が多発。20世紀の半ばにはその状況を憂えた政府が住民を強制移住させ一度は無人の廃墟となってしまいます。
そんな歴史的背景を持つマテーラですが、世界遺産に登録された現在では、官民共同でサッシの保存・再開発が行われ昔の活気が取り戻されつつあります。
サッシを活用した宿泊施設もあり、夜にはオレンジの明かりに浮かぶ美しい幻想的な景観を楽しむことができるそうです。

学術的な箇所は阪神交通社のHPを参照


洞窟を利用したサッシのホテルの中



 ローマから1時間ほどの村に住んでいます。

 日本の住宅より庭が広くとれるので、いろいろな果樹を植えています。秋にはりんご、
夏はさくらんぼも収穫できます。アヒルもいます。クラシックのコンサートもよく開かれます。日々の生活は忙しいけれど時間は日本よりゆったりと流れている気がします。

教会


商店街



アルベロベッロと姉妹都市・白川郷と、五箇山の紹介

合掌造り家屋の世界遺産

 合掌造りの名は「屋根の形が合掌しているように見える」ところから始まったと言われています。屋根の傾斜が45度から60度。確かに合掌している時の手の角度に近いかも知れません。降り積もる雪の重みで家がつぶされないようにと考えられた、雪国ならではの知恵の形です(因みに、屋根の角傾斜は雪の多い五箇山の方がきつい)。
 白川郷(岐阜県)も五箇山も今でこそ立派な道路が通じていますが、昔はいわゆる秘境です。隔絶された狭い山の中で耕地を確保するためには、住宅部分の土地を効率よく使わなければならず、大家族が一つ家に住み、屋根裏では養蚕をし、協力し合って畑仕事をするというスタイルが出来上がったそうです。生活から生まれた家の典型が合掌造りと言えると思います。

 白川郷は「売らない、貸さない、こわさない」という住民憲章を制定して長い期間をかけて集落を守ってきました。展望台から見ると、何棟もの合掌集落が整然と並んでいるのが見えて壮観です。戦後のダム建設で多くの合掌造り集落が水没、あるいは開発で取り壊されてしまいましたが、古いものに価値を見いだして保存運動の先頭に立ったリーダーの先見と住民の協力にはエールを送りたくなります。


 五箇山には相倉(あいのくら)と菅沼(すがぬま)という二つの集落があります。
古くは平家の落人が隠れ住んだ里だという言い伝えがあるそうですが、はっきりしたことは解りません。米の採れなかった昔は、畑作と養蚕、そして加賀藩の藩命で硝煙作りが行われていたそうです。集落内に民宿してそんな話を聞き、特産の五箇山豆腐やイワナをいただきながらお酒を飲んでいると、陶然としてきてまるで日本昔話の世界が広がってくるような気がします。大切にしたい日本の世界遺産です。
 
五箇山  菅沼集落
 
五箇山  相倉集落



  


一覧に戻る ページTOP