誰でも、自分のよりどころにしている「言葉」があると思う。
私の場合、親、友人、知人から言われた言葉はもちろんであるが、いろいろな本を読んだ中で、折に触れて思い出したり、何らかの行動をする場合の指針としている言葉がある。
機会をいただいたので、そのような言葉をいくつか書いてみる。
「弱者の側に立った日本側が強者に勝つために、弱者の特権である考えぬくことを行ない、さらにその考えを思いつきにせず、それをもって全艦隊を機能化した、ということである。」 |
司馬遼太郎「坂の上の雲 八」(文春文庫 1999年) |
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日本が、日露戦争において、バルチック艦隊を迎え撃つため、連合艦隊による艦隊戦術をどのように整え、準備したかの描写である。
訴訟その他の事件においても、どうしても証拠(特に書証)が弱く、当方に不利な場合がある。
しかし、その場合でも、まだ「考える」ことはできるのである。
このときの「考える」には、座って黙って思考するということだけではなく、各資料を穴のあくほど見て精査したり、何らかの資料がないか依頼者とともに探索をすることも含まれるのだが、「考えぬく」ことで、何かが見つかる場合というのは、本当に多い。
このことを、上記の文章は、弱みではなく、「特権」と表現している。
事件処理にあたって、「まだ、『考える』ことができる。」という気持ちが持てることで、折に触れ、思い出す言葉である。
「わたしはこれから、圧倒的な危機感をエネルギーに変える作業を日常的 にしてきたか、を試されることになります。」 |
村上龍「ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界U」(幻冬舎文庫 2000年) |
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物語の終盤、主人公の女性記者が、米国の友人宛に出した手紙の中の文章である。
「楽な事件」というのは存在しないのであって、全ての事件に対し真剣に取り組まなければならないのだが、そこで感じる危機感を、常に、逆にエネルギーに変えていくことが必要という考え方(「ヒュウガ・ウイルス」の劇中では、そうでなければ生き残れない、というシビアな状況なのだが)には、響くものがあり、これも心中に良く浮かぶ言葉である。
「仕事をしなさい」
ミケランジェロは言った。
「それ以外に答を得る方法はないよ。人に問わずに、仕事に問うことだ。 自分の手に問うことだ。仕事をしなさい」
力強い声であった。
「様々なことが、我々を襲ってくる。病。死。権力争い。戦。女。それこそ数え切れないほどのものが、常に我々を襲ってくるのだ。しかし、どのようなことが我々を襲ってこようとも、我々には、仕事がある。この手がある。仕事をすることだ。自分のはらわたをひり出してしまうほど、仕事をしなさい。仕事をしなさい。シナン。仕事をすることだ。どのような不幸も、禍いも、我々から仕事を奪うことはできないのだ。(中略)仕事をしなさい。きみの仕事が、きみのその問に答えてくれるだろう。仕事が、きみにその答をもたらしてくれるだろう。仕事をしなさい−」
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夢枕獏「シナン」(中公文庫 2007年) |
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オスマン帝国の建築家である主人公(シナン)が、ミケランジェロと面会したとき(但し、史実としては面会の有無は分からないらしい)、ミケランジェロから言われた言葉である。
仕事の上でも何でも、迷うことは無数にある。
しかし、人に問うても、結局、自分で考え、判断し、やってみるしかないことは多い。
そして、「仕事」というのは、自分がもっとも真剣に考え、一生懸命行うことである。
だから、そこで得られたものは、確かにその後の自分に影響を与えていると思う。
「あなたとお会いできたことは、幸運でした」
「幸運?」
「どこにいても、仕事はできる−それを、わたしはあなたから学びました」
柳宗元は、初めて、微笑した。
「あなたは、あなたの場所で、あなたの仕事をする。わたしは、わたしの場所でわたしの仕事をする。死ぬまで−」
「死ぬまで?」
「死ぬまで、仕事です」
きっぱりと、柳宗元は言った。
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夢枕獏「沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ四」(徳間書店 2004年) |
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主人公(空海)が、唐を去る間際に、柳宗元という文人と交わす会話である。
「自己実現」という憲法学上の用語がある。
憲法21条の「表現の自由」が守るものとされる「表現を通じて人格を発展させること」が元来の意味であるが、仕事を通して得られる「自己実現」は、とても大きいと感じる。
「死ぬまで仕事」ができたら、これは、幸せであろう。
「仕事シリーズ」のようになってしまい、また、読書傾向が分かってしまうようで困ったと思っているのだが、これらは、やはり、好きな言葉であり、自分のよりどころの言葉である。
終わり |

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