赤ちゃんは王様だった
           S ・ S





 わが家に息子が産まれてから早いもので8か月が経った。猫の子のように小さく,息をしているか心配になるほど頼りなかった赤ちゃんが,今では10キロを超える丸々とした赤ちゃんに育った。あたかも棟方志功の仏さまのように,めでたいほど太っているので,通りすがりのお婆さまが「ありがたい,ありがたい」と息子の足をさすっていくほどである。

 最初はベビーカーを押しながら「つまんない・・・」と思わずつぶやいてしまうほど疲労困憊していた妻も,だいぶ育児に慣れたようで,片腕に子供を抱き,もう片腕に巨大な買い物袋をぶら下げて歩いている姿は,思わずすがりつきたくなるほど頼もしい。



 子供が産まれて私たち夫婦の生活も子供中心に変わったが,一番変わったのは私の父であった。

父は,私の人生劇場においては最重要人物かつヒールである。中学生の私に東大受験レベルの数学を解かせて出来ないと殴るほどに教育熱心でありながら,株で教育資金を使い込んだり,食事中の私語を禁じておきながら「何でうちには家族団欒がないんだっ」と叫んで箸を投げ付けたり,といった逸話は当ホームページに以前掲載した記事でも紹介したが,父にまつわるこの手の話は枚挙にいとまがない。

 そんな専制君主である父に孫ができたことを報告した時,父から「それはでかしたっ!待ってました!」という極めてテンションの高いメールが来たので,まさか,と思ったのである。

 世間には「孫は自分の子供より可愛い」という俗説があるが,私が父と遊んだ思い出といえば正月に百人一首をやったくらいのもので,ろくに遊んでもらった記憶もない。それどころか,まだ幼い私が父と手をつなごうとしたら,「男と手をつなぐ趣味はない」と手を振り解かれたくらいであり,父が子供好きなはずはないのである。ただ,父は割とはっきり物をいう私の嫁に遠慮している節があるので,嫁の手前大袈裟に喜んでいるふりをしているのではあるまいかとも思った。しかし,決してそうではなかった。


 初めて実家に息子を連れて行ったときの父の反応は,私の想像を全く超えていた。
 「わあ,可愛い〜」と皆が息子を囲んでいると,父が目を血走らせながらやってきて「早くその子を俺に寄越せ!」と息子をひったくり,「おお,よしよし」などといいながら,ほたほたと目尻を下げるではないか。そして,大はしゃぎで写真を撮りまくり(息子が産まれたのを機に新しくカメラを購入したようである。),私が撮り貯めた息子のビデオを上映すると食い入るように見つめているのである(次回実家に来たときには,この映像を是非ともパソコンにダウンロードしたいのでそのように取り計らってくれ,とのことであった。)。さらには「呼び方は『じいじ』じゃなくて『おじいちゃん』がいいな」などと,でれでれしながら息子に話しかける始末。あの厳しかった父はどこにいったのか・・・。
父1人の救世主の前に、専制君主は「おじいちゃん」になってしまったのである。


 40キロのハンドグリップを握りしめて握力増強に励みながらゴルフ練習場に通いつめ,私とゴルフコースに出れば飛距離で負けじと意地になる,未だに30代の肉体のつもりの父。そんな父もやはり人の子。私たちに老人扱いされることは絶対に受け入れないだろうが,敬老の日に孫から「おじいちゃんへ」などと書かれたプレゼントを渡され目尻を下げる日が来るのだろうか。

 父が孫を溺愛することは喜ばしいことながら,倒すべき敵を失ったような寂しさをふと覚える今日この頃である。


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