チェコ・プラハ旅行

中欧4ヶ国ぐるり周遊8日間の旅
2008年3月21日〜3月29日
〜from my diary〜

          
C ・ M


 
1日目 成田発 オーストリア・ウィーン着 

                        
〜グーテンターク!VIENNA〜

 出国審査を終え、飛行機に搭乗するや否やすぐ外国気分になった。フライトアテンダントさんの制服が、オーストリアの国旗に用いられている赤色に包まれていたからだ。ジャケット、スカートだけではない、靴、ストッキングまで赤、一色なのだ!(男性のFAの方の靴、靴下の色は確認できなかったが・・)決して目が疲れるような赤ではなく、上品さの漂う赤で、おもわず見とれてしまうほどだった。
 12時間のフライトを経て、ウィーン国際空港に降り立つ。まず目についたのは、到着ゲート内にある花屋だった。こじんまりとした花屋には、色とりどりの切り花や、小さなブーケがならべられていた。鮮やかなバラの花や、グリーンを眺めていると自然に旅の疲れがとんでいく。ふと見ると、一本の黄色のガーベラの花をにこやかに手にとったかわいい女の子の姿。どこか遠いところから、親戚のところにやってきたのだろうか、おじいさんが女の子にプレゼントしている姿を目にした。日本の空港では、あまり花を持った人は見かけないような気がしたが、花をさりげなく贈る文化の国にきたのだと、花好きの私はうれしくなった。 

空港内にあった花ではないが、市内で見つけたお花屋さん


 
2日目 チェコ・チェスキークルムロフ 

                        
〜さぁ、チェコの古都へ〜

 ウィーンより高速道路にのり、チェコ、チェスキークルムロフへむかう。途中、そろそろ国境だというからパスポートの準備をしていると、ガイドさんより2004年に締結されたジェンゲン協定で入国審査は不要になったと説明を受ける。想像していたよりあっけなくチェコに入国だ。3月も下旬、日本では競うようにさくらの開花予想を行っているというのに、突然雪景色が目の前に広がった。この時期に雪が降るのは珍しいそうだ。どこまでも続くなだらかな丘に、真っ白い世界が広がった。
 ウィーンから約4時間で、チェコの古都チェスキークルムロフへ到着した。この街は、S字に流れるブルタヴァ川に沿って広がっていて、街も入り組んだつくりとなっている。また、この古都の至る所で目につくのは、バラの紋章と壁一面に広がるだまし絵だ。壁が「だまし絵」だとは、そばに近づかない限りわからない程だ。

だまし絵で装飾された壁 チェスキークルムロフ城から街を眺める


 
3日目 チェコ・プラハ 

                        
〜プラハ散策 歴史を感じて〜

 寒気団の影響は収まりそうもなく、小雪がちらつく中プラハ城にむかう。途中路面電車を走るのを目にしたが、これはなんと24時間営業とのこと。その理由は、旧社会主義時代に溯る。失業率0パーセント達成を掲げる政府は、より多くの働き口を設ける必要があった。そこで、この電車の運行も、交代制にすればより多くの人が働けるため、24時間営業となったというわけだ。街の風景にとけ込んでいる電車の営業一つとっても、その国の歴史は現れるものだ。
 城に到着すると間もなく、城内にある聖ヴィート大聖堂教会から時を知らせるカリヨン(鐘)が鳴り響いた。ちょうど、その鐘の真下付近にいたので、高い所から鐘の音が容赦なく降りかかってくるかのようだった。とにかくすごい音量だ。鐘の音に加えて、振り子であろうか、何かぎしぎしと音まで聞こえてくる。その場から動けなくなるくらい、荘厳な響き!目を閉じて聞いていると音の波に襲われ、自分の全身、特に心臓に反響して響いて聞こえてくるような気がした。これが、930年に建てられたというから、さらに私の心を打った。

ブルタヴァ(モルダウ)川にかかるカレル橋、奥に見えるのはプラハ城


 
4日目 スロバヴァキア・ブラチスラヴァ 

                        
〜イースター冷え?〜

 スロヴァキアは、1993年にチェコから独立した国である。大統領官邸近くのホテルに泊まるが、あまり賑わいもなく静かな街並みだ。朝起きると、灰色の低い雲がかかり、雪が降っている。慌てて、持参してあったカイロをスーツケースから取り出し、観光に向かうこととなった。
 ところで、今回の旅行はイースター(復活祭)の期間(3月23日〜3月26日)と重なったため、街のあちらこちらで卵(イースター・エッグ)と兎(イースター・バニー)をモチーフにしたディスプレイが見られた。イースター・エッグはイエスの復活を、イースター・バニーは生命を象徴して飾られるそうだ。日本人が桜と春とを連動させるように、ヨーロッパの人々にとってイースターは、「春」の到来を感じるイベントらしい。だが、日中でも気温は1℃程であるし、春とは呼べぬ寒さである。季節はずれの寒さといえば、日本にも花冷えという言葉があるが、こちらにもイースター冷えという言葉はあるのだろうか。


イースターマーケットで売られているイースターエッグ 木につりさげられたりしていた


 
5日目 ハンガリー・ブタペスト 

                        
〜楽しいチャールダーシュ事件〜

 伝統的なハンガリー料理、パプリカチキンを出してくれるという店にいく。チキンを塩こしょうで味付けしてあり、パプリカ唐辛子が味のアクセントとなっている。日本人にも親しみやすい味といった印象だ。親しみやすいといえば、いくつか日本との共通点を発見した。ハンガリーは、温泉施設が多く世界有数の温泉国ということや、姓と名の順序が同じということ。それから、ハンガリーの主要民族はマジャール人で、これはアジア系の民族だということだ。
 このレストランでは、民族音楽の生演奏が披露されており、ジプシーのリズム感を思う存分味わうことができた。気前の良さそうな楽団の方が、私のリクエストに応えて、ブラームスのハンガリー舞曲や、モンティのチャールダーシュを演奏してくれた。このチャールダーシュは、最近、フィギュアスケートの浅田真央選手が踊っていたので特に有名になったが、この曲を演奏している最中に、何と食事されていた地元の人が、男女で手を取りあって踊りだしたのだ!何とも言えないリズム感、とても自然な雰囲気の中、楽しそうにダンスしている姿に、ブラボー!クスヌム(ありがとう)ハンガリー!


ドナウ川沿いの建造物はすべてライトアップされていた   


 
6日目・7日目 オーストリア・ウィーン 

                        
〜音楽の都〜

 出発地ウィーンへ戻る。1日目、ほんの半日滞在しただけのウィーンだったが、再び訪れると何だか故郷に帰ってきたときのような安心感に包まれた。「ぐるっと」周遊してみると、街並みが他の三カ国に比べて、大変洗練されているとも感じた。
 ウィーンでは、数時間ではあるが、自由行動の時間が与えられていたので、音楽をテーマに過ごすことにした。 まず、訪れたのはウィーン楽友協会だ。毎年ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを(もちろん中継放送だが!)楽しみしている私としては憧れの場所だ。それから、マーラー通りを通過し、オペラ座を左手に見ながらしばらく行くと、シュテファン大聖堂が現れる。ここから、小さな路地を通ってモーツアルトハウスへ向かう。
 この家は、モーツアルトが1784年から1787年まで滞在した家で、「フィガロの結婚」を書いた場所としても知られている。大作曲家のモーツアルトであるから、さぞかし華やかな豪邸かとおもいきや、これが意外に質素なアパートで、窓からの景色も、お洒落なCAFE(当時あったかはわからないが)が見えるくらいである。彼の直筆の楽譜が展示されていたが、まるで悩むことなく一気に書き上げたかのような印象をうけた。消しゴムもないであろう時代に、緻密で長いスコアを一体どんな風に完成させていったのであろう。
 そろそろ、足が棒のようになってくる、休憩が必要だ。先ほど見えたCAFEに入ることにする。メラージュ(カフェオレのような味)という飲み物を注文し、ウィーンの人たちが過ごす日常の何気ない風景に浸る。ノートにメモをつけて記憶を整理していると、あっと言う間に自由時間も終わりだ。


楽友協会前 シェーンブルン宮殿で開かれたコンサート
このコンサートの休憩時間、事務所内T先生と偶然お会いする!


 
ウィーン発 成田着 
                        
〜さくらの国へ〜


 約11時間のフライトで成田に到着する。到着すると、コートは不要!マフラーもしまい込んで春の陽気を感じる。家路につくまで、至る所で満開の桜を見ることができた。ヨーロッパで見慣れていた灰色の世界から、一気に春爛漫の世界へ飛び込んできた。


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