赤沢森林公園・トロッコの旅  







 中山道、木曽、妻籠宿のことは多くの方がご存知だと思います。観光用のポスターになり、TVの旅番組でも頻繁に取り上げられている有名な宿場町です。では、この妻籠宿から少しだけ松本寄りの、上松(あげまつ)という町のことはいかがでしょうか。関東在住の方に質問したら、恐らく多くの人が「知らない」と答えるのではないでしょうか。天皇が行幸され、皇太子が訪問され、森林浴発祥の地となった赤沢森林公園は、そんな地味な上松町の山奥に、樹齢300年を数えるヒノキ林を抱えてひっそりとあります。



 「木曽路はすべて山の中である」と島崎藤村が小説「夜明け前」で書いたとおり、木曽地方一帯は深い山に囲まれています。江戸時代、尾張藩が「ヒノキ1本、首1本」と言って厳しく統制した山々は、明治以降、良質の木材の産地となり、林業は木曽地方の主要な産業となりました。山から切り出された木材は「木曽森林鉄道」と呼ばれるトロッコ列車 によって上松駅まで運ばれ、旧国鉄・中央線に積まれて各地に運ばれていきました。この光景は陸路運送が一般的になる昭和40年代の後半までは見られたものでした。



 赤沢森林公園は、戦前は伊勢神宮の遷宮のための神宮備林として大切に保護されてきました。現在は神宮備林の指定は外されていますが、今も遷宮用材の主な供給地であることに変わりありません。木曽山中にあまたあるヒノキ林の中でも特別な存在というわけです。
 ところで昭和60年、伊勢神宮の遷宮に際して、廃止されていた用材運搬のためのトロッコがこの赤沢に復活しました。その後、トロッコは町の観光資源として残され、「赤沢森林鉄道」と名付けられて、林の中を走ることになりました。私達はそのトロッコに乗りたくて、はるばる東京から出掛けてきたというわけです。



 さて、乗り場でお金を払うと、香りの良い木の手形を渡されました。その手形を握りしめて座席に座ると、そろりとトロッコが走り出しました。時速7キロで往復25分。風のにおいを嗅ぎ、沢のせせらぎを聞き、ハイカーに手を振るにはちょうど良い速さです。



 現在は学術参考保護林となっている赤沢森林公園には、6つのコースの遊歩道が整備され、森林浴をしながらヒノキの林を歩けるような工夫がなされています。トロッコは、沢伝いに作られた遊歩道のひとつに沿って、そこを歩くハイカーと歩調を合わせるように走ります。針葉樹特有のひんやりとした空気に触れ、ヒノキが発するフィットンチッドを吸い、汗を流したら、大抵の悩みも解消して元気になってしまうのではないかと思う気持ちの良さです。「癒される」というより、「抱かれる」という感じでしょうか。幾星霜の年月を経た巨木が持つエネルギーと、何事をも包み込むように根を張るヒ
ノキの大きさに圧倒されました。



 乗り場の横には「木曽森林鉄道」に関する資料館もあり、その歴史がパネルになって紹介されています。嘗ては木材の切り出しは苦労と危険の多い仕事だったに違いありません。殊に、伊勢神宮の遷宮用材の切り出しは緊張を強いられる仕事だったと思います。天皇も皇太子も、そうした仕事に汗をかく名も無き人々をねぎらおうと、この山の中まではるばるいらっしゃったのでしょう。そして、この地の人々はこの山を誇りに思った。そういえば、若い頃は営林署の仕事をしていたと覚しきトロッコ列車の車掌さんは、味のある良いお顔をしていらっしゃいましたし、名古屋方面からやってきた枝払いのボランティアの中年の団体も、疲れていそうなのに何だか楽しそうでした。「この山はそうやって、みんなに支えられてきたのだな」と、私は思いました。乗り場の近くにヒノキの製品ばかりを売る店が1軒あります。迷った末にカップ を購入しましたが、軽くて持ちやすいので、今では食事の前の1杯によく登場するグ
ッズのひとつになっています。



 もし、家族連れでこの地を訪ねるなら、関東方面からの場合は1泊した方が時間がたっぷり取れると思います。近くの牧場で馬に乗り、トロッコに乗り沢遊びをしたら子供達は大喜びするに違いありません。さらに、もし、人生に迷っている若い方がいらっしゃるなら、その方たちにもここを訪問してほしいと思います。悩みも、不平も、不満も、真っ直ぐにそびえるヒノキがすべてを飲み込んで、「大丈夫」と背中を押してくれると思います。そんな包容力に触れて貴方もきっと元気になるでしょう。
 さあ、森林浴にでかけませんか。



木曽馬 木曽のシンボル・御嶽山 切符代わりの木の手形


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