労働条件(賃金等)の就業規則による
不利益変更の可否
弁護士 向 美奈子   


1.はじめに

 経営の合理化を図る中で、賃金体系・賃金制度について、抜本的な見直しをしたいと望む企業も少なくないことと思います。言うまでもなく、賃金は、労働者にとって大変重要な労働契約上の条件ですので、その不利益変更は、容易には行えるわけではありませんが、かといって全く行えないわけでもありません。
 変更するためには、以下の3つの方法があります。

 (1) 労働者と使用者の合意によって変更する。
 (2) 就業規則の改定によって変更する。
 (3) 労働協約の改定によって変更する

 今回は、このうち、就業規則の改定による不利益変更について、述べさせて頂きます。

2.労働契約法と判例法

 平成20年3月1日から施行されている労働契約法では、その第10条で、「使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、@労働者の受ける不利益の程度、A労働条件の変更の必要性、B変更後の就業規則の内容の相当性、C労働組合等との交渉の状況、Dその他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の変更によっては変更されない労働条件として合意していた部分については、第12条に該当する場合を除き、この限りでない。」
と定めています(注:@〜Dの文字と下線は、筆者が便宜的に挿入)。この条文は、就業規則の不利益変更を有効とするためには、当該規則条項が労働者に周知されていることに加え、「合理的なもの」であることを必要とし、労働契約法施行以前から最高裁判所の諸判例において示された判例法理を立法化したものとされています。
 
 以下、賃金や退職金などに関する不利益変更が問題となった場合に考慮される各要素について、判例などで示された事項も示しつつご紹介したいと思います。

3.労働者の受ける不利益の程度と不利益変更の必要性(上記2の@とA)

 労働者の受ける不利益が、労働者のどのような権利に関しているかはとても重要です。賃金や、退職金など、労働者にとって重要とされる権利に関する場合、「高度の必要性に基づいた合理的な内容であること」が要求されており、福利厚生面での変更を図る場合よりもより厳格に必要性が要求されています。
 また、不利益を受ける権利が、当該企業において既に確立した権利なのか、単なる期待権なのかによっても、要求される合理性は異なるものと思われます。55歳から60歳への定年延長に伴い、55歳以降の賃金水準の見直しを行った第四銀行事件(最判H9.2.28)では、勤務に耐える健康状態にある男子行員が希望すれば、58歳まで定年後在職制度の適用を受けて勤務継続することができるという運用がなされていたが、その運用による労働条件は既得の権利とまではいえないとしています。この事件では、その他の諸要素も勘案した結果、結局55歳以降の賃金を54歳までの賃金より約4割削減することになる不利益変更を有効と認めました。
 そして、@労働者の受ける不利益の程度と、A不利益変更の必要性は、比較衡量されて判断されます。また、その比較衡量にあたって、代償措置や、緩和のための経過措置が十分かどうかも検討されていきますので、制度設計にあたっては、代償措置などについてもあわせて検討が必要でしょう。
 農協の合併に伴い、退職金の支給倍率を低減した事案である大曲市農協事件(最判S63.2.16 不利益変更有効)では、支給倍率の低減の一方で、合併に伴い、給与も調整された結果、当該支給倍率の低減による見かけほど実際の退職金額は低下しないことや、定年も延長され、休日・休暇、諸手当・旅費などの面においても有利な扱いになったことを、考慮することのできる事情としてとりあげています。また、上記にご紹介した第四銀行事件も、定年延長による安定雇用の確保のメリットを評価しています。
 なお、代償措置の実施は、不利益変更と同時に実行しておくべきです。上記第四銀行事件と同様、55歳以降の賃金を大幅に削減したみちのく銀行事件(最判平成12.9.7 不利益変更無効)では、定年延長を不利益変更の10年以上前に実施しており、その他の諸事情も相俟って、就業規則の変更は高度の必要性に基づいた合理性な内容のものとはいえないとされました。

4.変更後の就業規則の内容の相当性(上記2のB)

 相当性の検討にあたっては、上記3項でも述べた通り、代償措置・緩和のための経過措置が考慮されます。
 また、変更後の賃金水準等が、同種業界、同一地域の労働条件水準等とくらべてどの程度かについても裁判で考慮されることもあります。例えば、第四銀行事件では、変更後も、「他行の賃金水準や、社会一般の賃金水準と比較してかなり高い」としています。変更を検討する際には、同一業界や当該地域の労働水準についても調査の上で、変更によって作る制度の相当性を検討しておくべきでしょう。
 そして、変更の目的と、そのために導入した制度による結果がミスマッチにならないように気をつけなければなりません。社会福祉法人において、年功序列型から能力や成果をより強く反映させる賃金制度への切り替えを行ったことにより生じた賃金減額をめぐって争われた賛育会事件(大阪高裁H22.10.19 不利益変更無効。確定。)では、人件費削減を目的としての導入ではないにもかかわらず、賃金減額をもたらし、その代償措置もその不利益を解消するためには十分なものとはいえないとして、合理性をみいだせないとしています。
 なお、不利益を受ける従業員層が一部のみに偏っていることは避けるべきです。みちのく銀行事件では、中堅層の労働条件が改善されている一方で、高年齢層の賃金のみを削減し、特定層のみに賃金コスト抑制の負担を負わせていることにも、着目しており、その後の高等裁判所で出された判例等でも、一部の従業員のみに莫大な不利益を課していないかについて着目しています。

5.労働組合等との交渉の状況

 労働組合などとの交渉の状況は、労働組合との交渉経緯や他の労働組合や他の従業員らの受け入れの状況も含め、大事な要素です。
 第四銀行事件では、「行員の約90%で組織されている組合(・・・50歳以上の行員についても、その約6割が組合員であったことがうかがわれる)との交渉や合意を経て労働協約を締結した上で行われたものであるから、変更後の就業規則の内容は労使間の利益調整がされた結果としての合理的なものであると一応推測することができ」と述べられています。
 なお、平成20年3月1日の労働契約法施行後に出ている東京・大阪の高裁判決においては、この労働組合との交渉状況の要素が鍵になっているように思われるものもありますので、特に賃金や退職金などに不利益を結果として及ぼす(及ぼす可能性のある)変更の導入にあたっては、当該変更の実施の相当前から、従業員に対し、当該変更導入の必要性、その及ぼす実質的な意味をきちんと理解させ、これを受け入れてもらえるよう、労働組合等との交渉・協議に最善をつくしておくことが重要です。

6.その他の事情

 また、過去の判例の中では、同種の事項に関する我が国の社会における一般的状況がどのようなものかについても合理性の判断の要素の一つとして考慮していますので、労働契約法10条の「その他就業規則の変更に係る事情」の一つとして、この点についても配慮が必要です。

7. 最後に

 以上のとおり、条文であげられている合理性認定のための要素について、その概要を説明してみましたが、これらの要素はどれか一つがあれば、決定的というわけではなく、すべてが総合勘案された上で合理性の判断はなされます。裁判になった場合には、合理性の判断が、下級審と上級審でくつがえることもまれではありません。したがって、不利益変更を検討するのであれば、制度設計にあたっても、これらの諸要素を十分考慮し、そして、時間をかけて労働組合(あるいは従業員)に説明し、正確な理解をさせた上でその合意を出来る限りもらい、新しい制度を導入することが大変重要です。

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